『バハマとの出会い』


〜 かおる 〜






 僕、かおる39歳。BAHAMA関係?ではまだまだへたれのひよっこです。
 心臓に毛も生えていません。でも髪の毛は白髪が多くなってきました。

 うぅ〜んとね、昔過ぎて思い出せないのですけど確か高校生の頃、吹田の井村楽器で良く楽器を買い、コンテストなどに出させてもらっていましたが、ある時そこの店員さんの柴田さんという面倒見のよい方にBAHAMAを紹介してもらったのが出れるようになったきっかけです。
 お客さんは最初は3〜40人いたのですがそのうち、25人、15人と減っていき、最悪の日は8人だった事もありました。お店は赤字だったはずです。
 う〜、ごめんなさい。

 当時『EAST WEST』というバンド名で、同時に様々なコンテストを受けまくっていたのですが、あるとき読売千里音楽祭というのに入賞し、そこで知り合いになったバンド『プレゼンツ』がBAHAMAに出るということをLマガで発見し見に行きました。
 何をどう間違えたのかそこで演奏していたのは一文字違いの『プレゼンス』だったのですけど………。

 対バンかな?とか思いながら後ろのほうから口をあんぐりあけて素晴らしい演奏に聞き入っていたと思います。その当時僕はLA系のポップスをやっていたのですが『お姉さん』に
  『いや、あんたもこんな音楽聞くの?』
  『今度一回やってみぃひん?』

 と声をかけられお誘いを受けたのが、僕の『ライク ア ローリングストーン』人生の始まりだったのです。

 あとのことはご想像にお任せしますが、これが僕とBAHAMAとの出会いです。
 あぁ人生もう一度やりなおしたい。

 与太話はさておき、プレゼンスの初代ギターの直氏が事故で亡くなってから早13年。今年は13回忌ということで、彼の実家のほうで追悼コンサートを行います。参列されるご親戚の事もあり一般公開はしないのですけど、恩ちゃんとかシゲリンとかも来て当時の演奏を再現する予定です。

 また、なんと今回の事で発掘された当時のビデオが残っていて、直氏の娘さんたちは動いているお父さんを初めて見たそうです。
 今では二人の娘を持つ父親の僕としては他人事ではありません。
 はじめて見た瞼の父がバハマでの演奏姿というのも泣かせる話ではありませんか。

 他にHELLOと言うバンドもやっていましたが、そこの素晴らしいVoの女の子(といっても今生きていたら30後半のオバハンですが)も随分前に亡くなってしまいました。

残った僕らはいったいどうすればよいのでしょうか!
そう、もう一度デモテープをもってオーディションを受けるのだぁ!!!
そしてこの素晴らしい世代を次に繋げるのだぁ。
僕のかわいい娘達にもおピアノを習わせてプログレをやらせるのだぁ!



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