「つり吉ローディー物語 ex.V.D.C嶋澤潤一本釣られ」



 またまた今回はプレゼンス時代まで遡ろう。
 それに、スポットを当てるのは、バンド活動を裏で支えるローディー群だ。
 いつの時代もバンドがツアーやライヴをするごとに、スタッフに悩まされた。それはそうだ。ギャラも雀の涙だし、アンプを運んだり、雑用は数限りなく有る。見返りは、各地のライヴハウスをチェックできたり、ライヴをすぐそばで見つつ、職人のようにプレイを見て覚えられる、メンバーに教えて貰える、それくらいなものだ。
 それだけでは、長期にわたるツアーになると、みんな、アルバイトとかで中々参加して貰えない。もっともなことだ。
 プレゼンスも関西でやる時は余るほど、手伝いに来て貰えたし、関東でも、もとXのメンバーや、バンド関係の人たちが親切に手伝ってくれたので、困ったりしなかった。
 ただ、東京から北海道〜九州となると、マネージャーの田代君だけではとても手が回らない。
 困り果てていた時、東京でのライヴ後、大阪を素通りして、広島・九州まで行かなければならないツアーがあった。
 例のごとく田代君からの電話。
田代「どうしましょうかねぇ。広島、誰もいないんですよ。その後、九州へ行って大阪へ帰るまで、ローディー、誰もいないんです」
藤田「現地で、集められない?」
田代「機材多いですから、運に任せるのも怖いですし……ひとり、東京で、暇そうで、よく動いてくれる子居るのですが……。声かけてみたら、どうしようか迷ってるみたいなんです」
藤田「一週間ほど、自由に家を空けても問題ないんやろうか?」
田代「それは大丈夫って言ってるんですが……やっぱり、しんどいですもんね」
藤田「どんな子?」
田代「飯、よく喰いますネ」
藤田「その子に、広島のお好み焼きはウマイ。九州の飯もウマイ。よく、東京に住めるなぁって言ってみて」
 電話が再びかかってきた。
田代「行きたいって言ってます!」
藤田「よし! 決まり!!」
 ああ〜。その時に、かどわかされるように騙されて連れてこられたのがV.D.Cのジュンだ。
 のんきなのか、動じないのか、「いや〜、こっち、何でも美味しいすネ」ときた。
 年齢を聞いてゾッとした。16歳…………誘拐犯だ。
 すぐ、自宅に電話させて、新幹線で、送り返そうとした。次のミーティングで、プレゼンスの寮に行った。
 ジュンが、こたつに入っている。
藤田「え!! (まだ居た!)  家、大丈夫なの?」
ジュン「ハイ。しばらく、こっちに居るって電話しときました」
藤田「しばらくって………本当に良いの? 両親心配してない?」
ジュン「大丈夫です。ここの電話も言っときましたから。いやあ、こっちって、何でもウマイッすよネ」
藤田「………。(ええんかいな??)」

 そうこうしている内に、プレゼンスは、メジャーデビューして東京に移住することになった。
 田代君は大学卒業も重なったので、就職して社会人に、メンバーは、東京へお引っ越しだ。
 借りていたメンバーの寮のマンションも引き払って、みんなを送りだした後、バハマに来ると………………ジュンが居る。流石にこたつには入っていないが
藤田「な、なにしてんの? もうみんな出発したやろ?」
ジュン「ハイ。白田君もちゃんと同じ車に乗せました」
藤田「……あんたは?!」
ジュン「いやあ、僕、こっち気に入ってしまって、じっくりバンドしようと思ったら、絶対、こっちだと思ったんですよ。あ、ちゃんと住むとこ見つけてありますんで大丈夫です」
藤田「大丈夫って………(大丈夫じゃないゾ)お金とか、どうするの?」
ジュン「バイト探します」
藤田「………。(あいたたた。プレゼンスの置き土産……) バハマで、働いてみる?」
ジュン「ハイ。やります。バイトしながらメンバー探します」
 潤の言動を見ていると、何だか、天真爛漫でいて、俺は男だ見たいな力強さが有るのだが、何せ、あの女の子のような可愛い顔と、関西人には「なよっ」と聞こえる、きれいな東京弁だ。心配するなと言われても……。
 それでも、何年か大阪に居る内に、妙なアクセントの奇妙な言語をしゃべるようになった。
 それでいて、名古屋からツアーに来ていたギターのナオ君を大阪に呼び寄せ、広島から来ていたドラムをゲットし、ヴォーカルも見つけた。新人なのに、歌えるし、カッコもいい。
 どこから、見つけてきたのか聞いてみると「いやあ、アメ村の服屋さんにいたんですよ。出身は和歌山とか言ってましたっけ……」
 そうですか。そうでしょうとも、人生、何も心配することなんて無いんだよね……と言いたくなる程、お気楽そうにサラッと言う。しんどいこともあったろうに、愚痴をこぼしたこともなく、細い身体でひたすらよく喰っていた。
 それにつけてもツアーに出すようになって、フロム大阪って付けてたのは、少し良心が痛んだのも確かだ。だってメンバーひとりも大阪出身の奴いないんだもん。
 メンバーチェンジも何度かあったが、V.D.Cになってメンバーも固まってデビューできた時は心底ホッとした。
 だって、飯で釣ったんだもんね、もともと……。
 バハマ元店員と言い切るバイトの潤を横目で見つつ、初期のガーゴイルの東京ツアーにはローディーを確保する為に、よくニンジンをぶらさげた。
藤田「ねぇ、君、東京ディズニーランドに連れていってあげる」
とか
「福岡の屋台村って言ったことないでしょ」等々。
 ジュンは、聞き耳を立てながら、「あッ。僕、ディズニーランド行きたいッス」とさくらを咲かせ、横を向いてニヤニヤ笑っている。

「おーい、ジュン、ミナミで美味しいお好み焼き屋さん見つけたよ〜」



〜完〜


 ところで、資料を漁っていると、バレンタインD.C.になった直後91年11月発行の、アフターゼロファンクラブ向けに、メンバーがバレンタインのプロフィールを語っている。面白いので、このまま、のせちゃおう。
 Drは上床君になる前の森君で、本当にお家の自嘲で広島に帰らなければならなくなった。