痛みの局(つぼね)の今は昔 そふぃあを語る。








 今は昔、西暦1984年の頃のそふぃあといふ楽奏団ありき。見て聞きし人はぷろぐれしぶはーどと呼ぶなり。
 その頃、のう゛ぇらといふ楽奏団が当代一と言はれけるが、惜しまれつ失したり。
 その好むところそふぃあに浮き草のごとく集いける。あなおそろしやかしこみそうらいて人仰ぎ見たり。
 弦の奏者、土坂建司、低弦の奏者、林伸也、鼓、細川博史、謡は森川建司といふ。その謡声高くして、雀、雉など多く落ちたるを人、皆あらそいて 食したり。
 又、鼓打つ細川なるは、美々しゅう華やぎて麗なるを女子供皆あらそひて袖ひくも、もとより袖あらめ。
 そろいて化粧などいたせども興に乗りし時は汗と共に流れたり。あはれ花びら流れ汗流れいみじゅうおかしけれ。
 ある時、あんくるさむといふ稽古場におりし時、山椒太夫のごとき人に悪し様に言はれ、怒れどもただただ忍びてものや思ふと人の聞きけるを答えて曰く、「安寿恋しやほ〜やれほ」「この世は闇ぞただ狂へ」と続けて謡へば、人それを聞き袖のかわく間なし。
 これ、先程より何をしある、吾が、もとよりの今昔物語を書しておるに……なに、何を書いておるか解らぬと?
 訳せよとはどういふ事じゃ。
 そふいあのことを書けと言うたはそちであろう。
 「書けぬ、じれんま、あうあう」と言っておったではないか。
 「そふぃやと云ふのは、化粧が下手であったと書いてあるのか?」と! 吾はそんなこと書いてはおらぬ。よく読んでみや。解らぬ?
 もう良い、これ以上書かぬ、ただし、のう、約定は約定じゃ。寺殿は吾がいただきまするぞ。
 何の話とはつれなきことを……。
 すたっふの寺殿じゃ。おん年20歳とは吾と似合いじゃ。うれしやのぉ。これ!話が違うではないかっ。
 自分で何とか出来るものならしておるわ、見たであろう、吾がかの君の前に立ち、憂いを含めた瞳で見上げれば、掃除機で吾の顔をゴリゴリこするのじゃ。肩をそっと叩けば払ってゴミ袋に捨てたのじゃ。何、じぎーとは誰のことじゃ。いらぬ。不倫はごめんこうむる。
 ほっか殿? いたたたッ、これ、足をどけよ。ほっかいろもいらぬのじゃ。
 何、そふぃあが再結成したらば一番前の席で「ら・しぇーる」「あぷろーず」を聞かせてやると?
 ならば、鼓の横じゃ。
 吾のぽりしぃじゃ。
 仕方がなかろうのぉ。吾のねばりで寺殿を頑張るのじゃ。

 「寺殿恋しやほーやれほ〜。こっちの水は甘いぞえ」




《完》